TALK REPORT
「Renovation 1998-2018 and then リノベーションの20年と これからの都市とか建築とか」展(略してリノベとか展)会期中の7月7日から14日の前夜祭に当たる7月6日のトークイベント「リノベーション・クロニクル」の(ほぼ)ベタ起こしをお届けします。主催者であるアートアンドクラフトの代表中谷ノボルさんと、1998年を「リノベーション元年」と位置付けたいわばこの展覧会の核のような方、LIFULL HOME'S総研所長の島原万丈さんによる対談。ちなみにこの日、ものすごい大雨で島原さんが東京から大阪に来られないかもしれなかったことをここに記録しておきます(なんとかなりました)。今回展覧会のテーマとなっている98年に始まる「リノベーション」は、いわば「事業としてのリノベーション」と言うことができるわけですが、90年代における「広い意味でのリノベーション」から「これまで」を辿っていくようなお話が前半。展覧会の予備情報としてはこれ以上ないものなのでぜひご一読を。要所要所で「これからのリノベーション、都市、建築はどうなっていくのか?」という誰もが気になる話題に切り込んでいく島原さん、それに対するモヤモヤっとした返答をする中谷さん、に要注目。何かの「これから」は声高に語られる部分よりも、リーディングランナーの何気ない実感や独り言から生まれてきた(し、くる)んだろうな、と思わせるようなトークイベントでした。フル収録です。途中唐突に発言を振られるエポックメーカーの方々との登壇組とのかけあいもぜひお楽しみに(中盤です)!ちなみに、赤いハイライトはこの展覧会を担当したアートアンドクラフト広報の土中さんによるものです。
(榊原充大)
はじめに
中谷:こんばんは。なんでよりによってこんな日にやるねんという日に。単に明日七夕なのでこの日でいいんじゃないかという感じで設定してしまいました。今回隣の部屋が展覧会場で今日設営し、ブックレットも昨日納品されたばかりで。表紙と中身もうちのスタッフで内職で作ってるのですが(笑)ギリギリ間に合ったかなというところです。展覧会が『リノベーションの20年とこれからの都市とか建築とか』というなぜ1998年だとかそのあたりはこの後島原さんとのトークで話に出てくると思うのですが、リノベーションってなんとなくこんなものだ、みたいな感じに僕らも含めてなってしまっていて、配管剥き出しだとか。それ以上になにか広まったなという話もあるんですが、リノベーションってそもそも何だということを改めて考える機会ってなかったなと思っています。それをちょうど平成も終わるこのタイミングで色々考えてみたいなというのがこの展覧会をやろうかなというキッカケだったんです。それでスケジュールをタイトに組んでしまったんですけれど、秋はもっと多くの展覧会があると思うので、夏前にやってしまおうかということで企画しました。アートアンドクラフトと社外の専門の方にも入ってもらいました。今日お越しいただいております。榊原さんです。
榊原:榊原です。展覧会のマネジメントとか最初にどういう専門家と一緒にやるかを決めてアートアンドクラフトさんと一緒に提案書を作らせてもらいました。これからの10〜20年さらにその先というものを考えるキックオフの展覧会になればという風に思っています。
中谷:あと今日のブックレットのデザインなどをやってもらった西村さんというデザイナーさんと隣の展覧会場を作っていただいた本橋さんと3人でやっていただきました。ありがとうございます。展覧会はやっているんですが今日は前夜祭です。この雨の中わざわざ東京から島原さんに来ていただいてやっているし、あとエポックメーカーの人、リノベーションになにか印を打った30人の人たちにブックレットの中に載っていただいているんですけれど、そのなかでも遠方の方は今日どうしても来れなくなってしまっていたので、何人か来ていただいているのであとで一言いただくとして。ではトークを始めていきたいです。(豪雨で)新幹線が西の方では完全に止まってしまって、東の方も全然動かなくなってしまいまして無理かなと思ったんですけれど島原万丈さん、なんとか駆けつけてくれました。お呼びしたいと思います。皆さん拍手でお迎えください。島原万丈さんです。
会場:拍手。
中谷:今日はですね、雨で人数はそんなに、ちょうどいいくらいの人数になったんですけれど、隣の会場でも一応流しています。一応このイベントもアーカイブを作るんですけど編集しまくりますから(笑)今日は言いたいことを言うと。今日はエポックメーカーの口の悪い人も来ているので(笑)誰かの悪口とかも出てくるんじゃないかなと思っていて、特にお酒が1杯2杯入ってきたら。皆さん手を上げてもらえればうちのスタッフが注文を聞きますので。今から1時間半くらいかなと思いますが始めたいと思います。
島原さんの経歴-スライドを見ながら-
なぜ20年なのか。1998年というのはクロニクルで出てくるかもしれないのですけれども、この間でなにが変わったのかということと、色々なことが混ざってきているなと。先月に民泊新法ができて住宅と宿泊施設が混ざってきたりだとか、新築とリノベーション自体も区別がなくなってくるんじゃないかなと思っていて、その辺りを考える展覧会かなと思っています。まず今日のゲストスピーカーの島原さんをご紹介しておきたいと思います。島原万丈さんは1989年平成元年にリクルート社入社、あとで僕も気付きましたけれど僕も実はリクルートグループで同期でした。実際どんなお仕事をされていたんですか。
島原:そもそも建物とか関係なくてビールの商品開発だったりレトルト食品のパッケージデザインのチェックだったりいわゆる消費財のマーケティングをずっとやっていました。
中谷:リノベーション協議会など立ち上げられていますけれど、いつから。
島原:ゼクシィのあとリクルートの住宅総研というのがあるんですが、社内の人事異動で移りまして。2008年のときに中古住宅、既存住宅の流通活性化というのが国の住宅政策の大きなテーマとしてあったんですが、それについて自分なりに調査をしてどうしたものかなと思っていたら『リノベーション』というのをたまたま知って「これでいいじゃん。」と思ったんですね。僕は建築の設計事務所も全然知らないですし、リノベーションも不動産も知らないんですけれども、ネットで調べまくってどこに最初に話を聞きにいこうかなと思って来たのが中谷さんだったんです。それで大阪に来て初めて色々お話を聞いてこれがリノベーションなのかと。
毎年刊行の報告書について
中谷:報告書があるんですよね。島原さんは今はLIFULL HOME'S 総研の所長をされていますけれど、そちらに行かれても毎年レポート出されています。
島原:そうですね毎年1冊ずつ出しています。
中谷:毎年アルバムを出すアーティストさんみたいな感じなんですよ。2015年の『Sensuous City』が100万枚ヒットしたみたいな報告書ですよね。それについての講演とかが今ほとんどじゃないですか。
島原:そうですね。数えたら160回くらいになっているので2年半位で160回だから週に1回くらいのペースですね。
中谷:ご存知じゃない方に向けて言っておくと『Sensuous』とは『官能的』という意味で、今までの都市って数字で表したり学校の数とか病院の数とかで表していたのをもっと体感的に、感情的に都市を評価したらどうなるのだろうという物差しで都市を見られてそれの報告書を書かれたと。それが大ヒットして国交省とかにも呼ばれていましたよね。
島原:国交省のシンポジウムで大臣がいるところで基調講演とかをやりましたからOKだったんだなという感じですよね。
中谷:そんな島原さんです。私の方はアートアンドクラフトという会社を今年25期目ですね、リノベーションを始めて20年というところです。(スライドを見ながら)これが2014年にまとめられた『STOCK&RENOVATION』という報告書ですよね。この目次を作るときの想いとかを。
島原:リクルート住宅総研を訳あって辞めまして、無職だーとか言ってたら今の会社に拾ってもらった感じなんですけれども。そこで同じように調査やレポートを作るという仕事をしています。2008年にリノベーションを提案させてもらって2009年にリノベーション住宅推進協議会を立ち上げて、リノベーションが人気が出てきて一般化してきたんですね。その時点で一回まとめておこうかという想いが1つあったんですね。実は2008年にはリノベーションがいいよねという提案をしたに過ぎなくてリノベーション市場がいま現状でどうなっているのかというマーケットのデータはまるでなかったんですね。そこで一回は調べておかないといけないと思って、ユーザー像はどんな人たちだろうだとかそういうことが1つありました。
中谷:この報告書はすごく分厚くて色々な方に関わっているものなので、島原さんがよく知っていらっしゃることを改めてやっていて。当時2014年に感じていたこととかありましたか。
島原:2014年時点でリノベーション自体がすごく広がってきていたので、僕が始めて知った頃には建物をいわゆる再生して今まで価値のなかったものを流通させるという程度の建物的な話だったのがやっぱりそれをやっている方、特にトップランナーでやられている方々はハードウェアそのものではないなという話はしていましたね。ただトップランナーの方が言う「リノベーションの概念はずいぶん拡張してきた」という感覚と、実態のマーケットでは、言っては悪いですけれど不動産屋さんが買って内装を綺麗にしてリノベーションマンションとして売っているというのが、広がっていて。建築的な人たちから言うと、そういう不動産業的な表層を綺麗にして流通させるリノベーションマンションってリノベーションじゃないよねみたいな話をするんだけれど、いやいや結局既存活用という意味では同じだからそこは僕の研究としては分けないでおこうと思ってこれを作りましたね。ただどちらも広めていきたいと。
まとめられていなかったリノベーション年表
中谷:ブックレットの中で僕らも年表みたいなものを作って、島原さんも年表を作っていたじゃないですか。かなりの年表が書いてあったのですけれどあれを作るとき、これは入れるべきかとか取捨選択はどんな感じだったんでしょうか。正直僕らのブックレットの年表はかなりアートアンドクラフト目線なんです。他社の事例をなかなか写真を借りてまで…というのはできなかったので自分のところでやっているのと、あと1つは僕ら建築リノベーション住宅から始まって、シェアハウスとかホステルとか出てきているじゃないですか。今回の展覧会はそれを含めてリノベーションにしていて、でもホステルやっている人たちは決して自分たちがリノベーションをやっている感覚でもないのかなと。勝手にここに入れるのは失礼なのかなという思いもあるんですけれど、でも島原さんも入れていましたよね。やっぱりリノベーションがそれだけ広がってきたという感じなのでしょうか。一般的にそれも含めてリノベーションなのでしょうか。
島原:それも含めてと思っていました。もちろんこれは住宅系のレポートなのでメインは住宅の流れを書いたんですけれど、3-1で『リノベーション・クロニクル ver.1』となっている。日本のリノベーション住宅がどのように広がってきたかということで年表付きで書いたんですけれども、やっぱりそこで何をクロニクルとして書こうと思ったかというと。
中谷:ちなみにクロニクルという言葉はどういう意味なんですか。
島原:国語辞典でいうと年代記みたいな感じでしょうか。年表みたいな感じですよね。そのリノベーションの歴史みたいなものって実は僕はどこかにあるだろうと思っていたんですよ。このレポートを作るときにどこかに参考にある資料とかあるだろうと。建築学だと建築史って相当細かくあるじゃないですか。だからなにかあるんじゃないかと思ったらまるでなかった。
中谷:なるほど。
島原:ネットと本を全部集めていたときに今我々が広めていきたいなと思っているリノベーションの産業としての動きみたいなことがどういう風になってきたかをまとめていくと、アートアンドクラフトさんがリノベーション住宅を最初に手がけているわけですけれども、リビタがホテルや、それだけじゃなくて色々な商業施設だとかシェアハウスを手がけていたり、というような形でどんどん対象が拡がって行ったのが最近の流れとして取り上げざるを得ないということで書きました。
リノベーションのはじまり-継続的な事業として-
中谷:まさにこの展覧会を1998年で切っているんですけれど、それはちょうど平成が終わるということでキリが良かったというのと、僕らがリノベーションを始めた年なんですよね。それをリノベーションが始まった年だと言ったら偉そうじゃないですか。でも僕が言っているんじゃなくて、この人がこの報告書で書いてくれたんですよ(笑)
島原:そうです。発明者と書きました。
中谷:でも正直リノベーションは例えば商業系だと裏原宿の動きだとかね、大阪でも船場であったりしましたよね。リノベーションをビジネスとしてやったのがうちだったんですよね。僕自身も自分でトンカチやって長屋を改装とかその前からやっていましたのでビジネスが1998年の『Crafts Apartment』が最初ですね。
島原:継続的に事業として繋がっている。もちろん日本の建築の世界の中では古い建物、迎賓館をリノベーションしてとかはいっぱいあるんですけれど、そことは完全に分けたんです。ああいった誰もが価値のあるものを保存しながら直していくということと、今ここで起こっていることって全然文脈が違うじゃないですか。その辺の文脈の最初の方は裏原宿とか船場の方の商業系のDIY的なものが多かったんだけれども、それを住宅の事業に事業者として持ち込んだのが『Crafts Apartment』が第一号ですね。日本全国探してもそれより前がないんですよ。建築家の自邸というのはあるんですけれどはじめてで。それで発明者と書かせていただきました。
中谷:だから僕が言っているんじゃないんです。この人が言って拡めてくれたということなんですよね。僕もそうなんですけれどリノベーション系の講演会に行ったときにリノベーションとリフォームの違いについて聞かれるんですね。島原さんはなんと答えているんですか。
島原:僕は今は気にしなくていいですと。昔は一生懸命リノベーションを広めようと思ってリフォームとは違うんだということを色々と定義しようしたんだけれども、どこまで行っても定義できないので。もともとリフォームという言葉が、言葉として誤用なのでそれとの違いと言われても英語としては間違っていますからね。
中谷:リフォームって政治の『改革』とかそういうことですもんね。
島原:あとお洋服の直しとかですね。英語でああいう行為はすべてリノベーションと言われているはずなのでそこはあまり気にすることはないんじゃないのと最近では言っています。
中谷:僕もそうです。最初は入居者が今住んでいるところはリフォームでとか言っていたんですけれどそうじゃないのも出てきたし、今回のエポックメーカーの人たちもそこを結構書いていて。OpenAの馬場さんとかは最初はたしかに物理的な話だったけれどもう考え方でそっちがリノベーションと。だから文化になったのかもしれないですよね。
そう感じたらリノベーション
島原:そうですね。ちょうどこのレポートを書くときにもリノベーションという言葉を使ったんだけれども、アンケート調査でも『リフォーム・リノベーション』にしています。逡巡や葛藤はあったんですけれどなぜそうしたかと言うと、ワルパさんとか出てきてね、大阪でクロスを張り替えたり、消費者にいきなり売るんですよね、それでいきなり張るじゃないですか。メゾン青木という賃貸マンションが出てきて入居者が壁紙を自由に選べる。壁紙を変えただけですよ。それでいわゆるリノベーションがどうのこうのと言ったら絶対に定義できないんだけれども明らかに空間の質は変わっているし、住んでいる人の気持ちは変わっているし、物件の価値も変わっていると。これはリノベーションではないと言っていいのかというと、これもリノベーションと言われたらキッチンを変えただけでもリノベーションと認めざるを得ないというかそういう感じですね。
中谷:もう色々考えなくてもいいと。そう感じたらリノベーション。
島原:そうです。感じたらリノベーション。
中谷:ブルース・リーの言葉みたいですね。考えるな。感じろみたいな。
リノベーションは最小手数が格好いい
島原:このアンケートがすごく難しいアンケートだったんですけれど、好きなリノベーションはどれですかという質問で。
中谷:あれは僕らの罠ですよ。忙しい人にちょっとだけアンケート答えてくださいと言っておいて、3問目くらいまでサラッといけるんですよ。4問目くらいからすごく考えないと書けないというね。こんなの受けなければ良かったと皆思っていると思うんですけれど。
島原:ギリギリまで迷って。しかも他にこういう人に頼んでいるというから何か格好悪くて書けないなと思いつつも最後時間切れで出したんですけれど。あの中でも僕が入れたのが、リノベーションってやっぱり最小手数で最大の効果がカッコいいと思うんですよ。工事をガッツリやりまくって変えるよりも、どこを変えたのかよくわからないけれど全然違うというのが個人的に好きで。なのでそれでいうと工事範囲そのものの問題ではないなというのが一番感じています。
中谷:僕はここ20年の一連の動きを今回のブックレットの最後のあとがき、エピローグで文章を書かせてもらって、結局住宅から始まっているんですけれど色々なものを巻き込んでいって、それを一つの言葉で表すなら『民主化』という言葉を使っているんです。普段は政治で使うような言葉であまり馴染まないかもしれないですけれど。僕自身は、一番最初にバブルの頃、調子に乗って北摂にマンションを買って住んでいたんですね。でも会社を作ったから近くに住まないといけないと思ってボロボロの20年くらい空き家だった長屋を、それしか借りられないということで借りて。まだ大阪市内は家賃が高かったので、それをめちゃくちゃ安く借りて自分でトンカチして住みだしたんですよね。僕自身もリノベーションを始めたのは、住まいを手に入れる手段でしかなかったんですよ。それを格好良くしようなんて正直思っていなかったんですよね。それが始まりだし、例えばホステルとかゲストハウスをやっている人らもやっぱり自分らが海外とか泊まって世話になって、帰ってきてなにかやりたいなと。それでゲストを迎えるので、建てるなんてなかなかできないし、古いやつを借りてそれを改装してゲストハウスにしてなんとか旅館業を取って、みたいな。そういうのとかシェアハウスもそうだと思うんですけれども、今まで住宅とかホテルとかは、行政であったり大企業であったりから与えられるみたいなものではなくて自分らがやるみたいな。そう動いたのが結果リノベーション的なものに繋がっているのかなと思っていて。
島原:日本での動きですけれど、それはリノベーションが90年代の終わりくらいから出てきて2000年代になるとガッと開いていったときに、やっぱりインターネットの影響は外せないと思っています。
中谷:そうですね。個人の動きでも結構拡められるというか僕らみたいな小さい会社でも知ってもらうことができるとかそれは大きいですよね。
島原:アートアンドクラフトさんも東京でもブルースタジオさんがインターネットを使って販売するというのは、今では当たり前ですけれど。その当時不動産業界にいたらわかると思うんだけれどホームページがない不動産屋がザラでしたからね。名刺もらってもメールアドレスがないんですよ。メールアドレスはあっても部署に一つみたいな。そういう時代に物件1つ一つに名前を付けてネットに掲載したというのが大きな特徴なんだけれども、それってありとあらゆるところにネット的、言い換えると民主化ということかもしれない。最近のDIYブームというのはSNS的な流れで個人が自分で発信する流れですよね。
中谷:素人でめちゃくちゃ有名な人もいますよね。
島原:そうですよね。そんなのも含めて民主化というか発信ができるようになったのは大きいですよね。
エポックメーカーの紹介
中谷:エポックメーカーの方に今日何人かお越しいただいていて前の方に座っていただいているんですけれど、手を挙げてください。まず紹介します。泉(ハートビートプラン)さんです。
泉:ハートビートプランという地域を再生する事業をしているんですけれども、中谷さんとのキッカケは中谷さんが水辺のまち再生プロジェクトのNPOの代表をやっていて、僕が『もうひとつの旅クラブ』いうNPOで。それで飲んでいてなんとかしたいと言って北浜に目をつけてあそこをやろうと言って。鴨川納涼床はみなさんご存知ですかね。あれの大阪バージョンみたいな川床テラスが、北浜ってわかりますか、土佐堀川のバラ園の対岸にあるんです。それをなんとか作ろうと言って、公共空間に出さないといけないのでなかなか普通は作れないんですけれど、それを1ヶ月限定でやってみてみんなでそれを常設化しようと言ってずっとやっていたという感じです。50軒のビルがあるんですけれど全部登記簿を調べて所有者を特定してそこに押しかけて提案しに行くというのをやったんです。今ではもう15軒くらいやってね、当時思っていた川の風を感じてビールが飲みたいというのを実現できて嬉しいです。
中谷:行くたびに気持ちいいな、泉さんよく頑張ってくれたなと。僕は言い出しっぺだけですけれど。やっぱり泉さんは今ある街をストックとして捉えてこれをどうしていくのかというリノベーション的視点を当時NPOの旅クラブでね。僕らも水辺のまち再生プロジェクトでゲリラ的なことをやっていましたもんね。橋をジャックしたりとかね。一応警察に挨拶は行っていたんですよ。そういうことをやってきました、泉さんです。もう一度拍手をお願いします。
会場:拍手
いとう:大工をやっております。いとうと申します。大工なのになぜこのような場所に越させていただけるかというと、旅しながら大工をやっております。もともと建築設計を勉強していて、旅をしながら大工ってなんなんだという話なんですけれど、現場現場に寝泊まりしながら家を完成させていくという動きをしています。自分で設計はせずに、地元に縁のある設計者の方とか知り合いとかと一緒にプロジェクトチームを組んでその場所その場所でサイトスペシフィックなリノベーションをやっていくということでお声がけいただいたかなと思います。よろしくお願いします。
山口:TEAM クラプトン山口と、
白石:白石です。
野崎:野崎です。
山口:3人揃って、TEAM クラプトンです。我々はみんなで作ろうということをコンセプトに、普通内装って工務店に投げてやってもらうのが一般的だと思うのですが、我々は依頼を受けたら一緒にやりましょう、何曜日が休みですか、みたいな感じで施主さんやその周りの方々と一緒に施工をする、だからDIYでもないんです。とりあえずやってみようという精神から、建築って大きくて難しいので私達はDITと言っていて。Do It Together、みんなで作ろうという形で色々な人達と一緒に作業をするチームです。だからプロの大工は一人もいなくて強いて言うなら僕が電気工事、白石が水道工事、野崎はペンキをめっちゃ塗っているって感じでチームが構成されています。よろしくお願いいたします。
高岡:高岡と言います。建築設計をやっていて、BMCというビルマニアカフェという5人組の活動をやっていまして、それはまさに今日皆さんいらっしゃる新桜川ビルみたいな高度経済成長期に建てられたビルってすごく格好いいよねというのを色々な形で発信しているグループなんですけれども、なにを言えばいいんですかね。
中谷:やっぱりあの視点はなかったと思うんです。僕はこう見えて建築史ゼミ出身なんですよ。こう見えて歴史を勉強してきた人間なんです。でも現代史のところで絶対に戦後の話って出てこないじゃないですか。いきなり現代の建築家の作品になったりするのに僕らが社内で岩田とかとやっているときに、なにか変なブログ見つけたんですよと、ビルを愛し過ぎておかしくなっているんじゃないかみたいな人の。擬人化してしまって抱きついているんじゃないかみたいな。
高岡:だいぶ盛ってますから。
中谷:それがNTTのときですよね。
高岡:NTTとは言わないです。電電公社のビルです。(笑)
中谷:そこに拘る。ものすごいホームページを見つけて「これ絶対変態やで、会いに行こうや。」と言ってお会いしたんですよ。そうしたら結構偉い先生で。
高岡:その頃はまだ先生じゃなかったんですけどね。まだ独立したての頃でした。仕事も全然なかったので町中チャリンコで走り回っていいなと思うビルを写真に撮っていました。ちょっと病んでいたんでしょうね。
中谷:まだ戦後のビルには光が当たらなくてその前の近代建築のビルは注目されていましたが。
高岡:そうですね。そのときに船場にある歴史的な建築物をまず皆さんに知ってもらうところから始めて。
中谷:そうか、高岡さんは初めからこっちを狙っていたんですね。
高岡:今から言えばね。
中谷:近代建築に目を向かせといて、今こっちに誘導してきていると。
高岡:そうです。そろそろいいだろうと。そろそろ戦後に行ってもいいだろうと。そのときはそんなことを考えてはいないですけれどね。でもそういう意味でいうとアートアンドクラフトさんがやっていた鎗屋アパートメントとかHOSTEL 64 Osakaとかもそうなんですけれど、全然普通のビルをあんなに格好良くリノベーションするのを見て、やられたなと思っていました。
中谷:あと大阪ではイケフェスとうイベントがあって。もともとオープンロンドンというイベントがロンドンであるんですけど。それに視察に行かれたんですよね。
高岡:はい。2013年ですね。オープンハウスロンドンというロンドン中心部の建築800軒くらいを一斉に無料公開するというすごいイベントがあるんですけれど。
中谷:あれも一人の女性が始めたんですよね。
高岡:そうなんです。しかも建築の専門家じゃないんですよね。編集者の人が一人で始めて。
中谷:それを大阪でやると言って橋爪紳也さんとか、倉方俊輔さんとかと本当にやってしまったという。あれは何年目ですか。
高岡:今年が6回目とかですね。
中谷:去年から補助金一切なしでしょう。
高岡:そうです。最初は大阪の事業として始まったんですけれど、4年目からそれがなくなって企業協賛とかをかき集めてやっているんです。アートアンドクラフトさんからも毎年協賛金をいただいてありがとうございます。このビルも毎年参加していただいていてすごく人気の建物です。今年は10月の27〜28日に開催します。ぜひ参加いただければと思います。
平野:こんにちは。写真家の平野愛です。25ページです。アートアンドクラフトさんには10年くらい関わらせてもらっていて竣工写真ですね、つくられた物件を一個一個行っては撮ってというのを繰り返させてもらっています。あと中谷さんのプロフィール写真も。実はこれはすごく意味があって。ここに私なりのリノベーションの感覚を伝えられればいいなと思っていて。中谷さんを通してご機嫌で楽しいものなのじゃないかなと思ってリクエストしたんですよ。それをずっと使ってもらっていて。
中谷:気に入ってますよ。Twitterも全部これにしています。
平野:ありがとうございます。ここに寄せてもらってそういう空気があるなと思って嬉しくなりました。
中谷:写真集を出されたんですよね。
平野:はい。引っ越しをテーマに。家の竣工写真ではなくて、乱れていくシーンを撮っています。
中谷:なんでそこに着目されたんですか。
平野:10年こうやってアートアンドクラフトさんに関わって綺麗なシーンが多いじゃないですか。よくできているし、格好いいし、素敵だし、キラキラしている。それは撮れるんですけれど、そうじゃなくてもっと人間味のあるというか、生活シーンってどういうタイミングで一番出るかなと思ったら引っ越しのタイミングだったんです。やっぱり残っていく物と捨てていく物とバラバラになっている家の中というのはなかなか撮れないじゃないですか。それで調べてもらったら引っ越しの写真集はまだ世の中にないということが分かって。それで一気にやる気が出てきて。
中谷:何組出てられるんでしたか。
平野:写真集には6組なんですけれど、今は7組追いかけています。ほとんど仕事ができていない。
中谷:最初聞いたときはみんな同じような感じになるかと思ったんですけれど、6組全然違いますね。個性出ますね。
平野:そうですね。全然違ってなぜかほとんど現場で私が泣いているという。ホロッときて。
中谷:ちなみにAmazonでは手に入りませんので。
平野:大阪だとカロさん。
中谷:あれはいつからやるんですか。
平野:カロさんはまだ決まっていないんですけれど、来週から広島のリーダンディートという本屋さんと、その次は東京の荻窪にあるタイトルさんで8月31日から2週間展覧会を。展覧会とセットで写真集を販売させていただきます。ぜひお越しください。
中谷:いくらでしたっけ。
平野:3500円です。
中谷:今日は九州とか長野から来られる予定だった方はどうしても来れなくて。澤田さんって絶対こういうのは来ないんですけれどね。
島原:珍しい。
中谷:珍しいどころか時間間違って6時には来てたという。挨拶してくださいよ、来てくれるだけで嬉しいです。あまり表には出てこられない方で、大阪の方だったらイーマビルとかね。
澤田:2002年竣工ですから16年前です。淀屋橋WESTは2003年から始めました。
中谷:淀屋橋WESTについて説明してもらっていいですか。20代の方は当たり前になりすぎていて気付いていないと思います。
勝手に始めたまちづくり-淀屋橋WEST-
澤田:大阪に淀屋橋というところがありまして、僕らが始めた15年前はオフィス街で土日は誰もいないし、用がなければ来ないし、用が終わったらとっとと帰るような街で。とはいうものの昼間はたくさん人がいるところ。もったいないということでたまたま銀行が立ち退いたビルをオーナーから何か店舗でもいいから入れてくれないかという相談があったのがキッカケで。どうやったら店舗が入るのかなと。赤ちょうちんと定食屋しかない街でなんとなく格好良いものができないかなと思っていて。それで『街』を作りませんかと。勝手に淀屋橋WESTというロゴを発注してこういうまちづくりをするということで店舗を口説きに行ったと。そうすると店舗のオーナーが面白そうだなということで手を挙げたと。そこから言ってしまった、やらないといけないとなって始めたまちづくり、それが2002年ですね。
中谷:澤田さんは表に出てこないんですけれど、職業はなんと説明したらいいんですか。
澤田:その辺に歩いているオッサン(笑)
中谷:本当に不思議なのは、淀屋橋WESTの話になりますけれど、やっぱり財閥のビルなので住友グループとか東京だったら三井不動産とか三菱地所とかを口説いてくるじゃないですか。口説いてくるというかどちらかというと怒るくらいの勢いでいくじゃないですか。そこはどうして皆澤田さんになびいていくんでしょうか。
澤田:僕は中谷さんとか島原さんと一緒でリクルート出身で。お二人は全く知らなかったんですけれど。私は1993年にリクルートを辞めたんですね。今年辞めて25周年なんですけれど、そのとき会社にいて僕は宮仕えは似合わないなと思ったんですよ。面倒くさいなと。社内の根回しでクタクタになって、外に行って本来やらないといけないことにエネルギーをかけるよりも中で調整したりとか関係者の調整の方がエネルギーがかかるなと。それって無駄というかもったいないなと、僕がやりたいことは違うなと思ってやったので、そういう財閥系の大きな企業さんも同じ思いをしているんだろうなと思って、そういう人の気持ちを代弁して、実質的にこうじゃないんですかということでズケズケと行くという。だからクリエイターの方とすごく良い環境でオフィスで仕事をしている人の通訳みたいな感じ、インターフェイスになるような立場でやっているのが受けていると。こういう商業をやっているんですけれど、商業をやっている僕らの先輩はいかがわしいんですよ。いいこと言って、結局できたものが違うとか。横文字を使って煙に巻いてしまうというような人たちがやっていたのでこれはいけないなということで、思ったことを正直に言うとそれに共感してくれた人がいて。それで面白いなと。煙に巻いていた人というのは当時の三菱地所さんであったり、三井不動産であったりは、オフィスビルは長けていたけれど商業はやってなかったんです。でもやはり賑わいをつくろうという国の政策もあって、そういったときに僕はリクルート時代にオフィスビルを担当していたので、入ったときは1階には銀行を入れろと。銀行がダメなら証券会社を入れろと。それでもダメだったら企業のショールームを入れろという風に刷り込まれたんですね。刷り込まれてそうだと思っていたらなんとなく違うと思ってきたんですけれど原体験がそうだったんでそう思っているだろうと思うわけですね。だから店舗を入れましょうと僕は思ったんだけれども、店舗でも良い店舗と良くない店舗があると。要はオフィスビルの価値を上げる店舗を入れましょうみたいなことを言うと「コイツ分かってるんじゃないか。」と思われたわけです。単なるそれだけです。
中谷:皆さん知っていると思うけど丸の内ここ数年ですごく変わったでしょう、本当に。
澤田:あれは当時喧嘩しましてね、地所設計という東大の錚々たる研究室を出た人が設計をやるわけですよ。凄い鳥瞰パースを作ってくるわけですよ。全然面白くないんですよ。街を歩いてる人がどこが面白いんだと思って。僕は一生この角度から建物見えませんと。「歩いていたらこんなの面白くないじゃないですか。」と言ったら、「俺は東京を作っているんだ。」みたいなことを言われたから、「それは東京を作っているかもしれないけれど、俺は東京を歩いているんや。」みたいな話で。バーバリアンみたいに思われて大阪だからわからないんだとか、そんな問題かみたいな話で。なんの話してんねやろう。
リノベーションのこれからの話
中谷:飲み屋に行ったらこんな感じになりますけれど、普段澤田さんが人前で話す機会ってあまりないのでこういう人だというのを皆さん知れただけでも喜んでください。ありがとうございます。こんなに沢山の30人の方、キリがいい30人になってますけれどこれは狙ったわけではないんですよ。実はもう少し声を掛けていて、やっぱり期間が短かったのとで返ってきたのがちょうど30人だったんですよね。僕もリクルートグループを入って3年位で辞めているのであまり自分の中で意識はないんですけれども、いざ仕事をしだすとこの業界でも多いなと思います。澤田さんもそうだし、島原さんもそうだし。それを思うと内山さんと梶原さん、確か前田有佳利さんもリクルートグループ出身。ツクルバの中村さんも後輩にあたります。林さんはスペースデザイン出身だからリクルート系ですもんね。だからなんやかんや30人の内6〜7人いるんですよね。別に僕はそんなにリクルート万歳なんて思ってないけど、でも多いですよね。それではトークの方に戻りたいと思います。あと30分ほどトークしたいと思います。今まで振り返りみたいな、クロニクルなことをやってきたんですけれど、これからの話もせっかくなのでしたいなと思って。いつも講演会に行ったら「リノベーション業界はこれからどうなるんですか。」とか「次はなにを考えているんですか。」とか言われるんですが、知るかよ、と思ってるんですね。自分のことだってまさか沖縄でホテルやるなんて全く思わなかったし、本当に半年後のこともわからない。会社もありがたいことに25年続いていますけれど毎年決算のときに、良かった、セーフやとか来年潰れるんじゃないかとか思っていますし、わからないと思うんですけれども一応聞かれたら答えないといけないじゃないですか。
島原:それで言うと逆にね、僕は中谷さんに質問をしたいです。僕は主に東京でやっているんですが、東京のリノベーション系の例えば内山さんとか林さんとか、この人たちは東京で中心にやっている人たちですけれど、大島さんとかね、なにを言っているかというといつも中谷さんが前に行ってると言っているんですよ。気がつくと中谷ノボルが前にいたという。自分たちは面白いことをやっているつもりなのに、「あ、これは中谷さんがとっくの昔にやっていた。」みたいなことになっているんですね。逆に皆からすると、これからどうなるのということは中谷さんに聞きたいなというのが正直なところで。アンケートの5つの質問がありましたけど、これを答えてもらいたいなと思います。
中谷:これ実はまだ自分でも考えていないんですよ。ブルースタジオの大島さんはみんなでカラオケしたときに聖飢魔Ⅱ歌いながら「お前をリノベーションしてやる。」とか言ってましたけど(笑)次はなにかな、本当に分からないです。そういう風に言ってくださるなら、例えばキャンピングカーとか中谷さんだいぶん前にやっていたなとか、そんなのは自分でもリノベーションと思ってやってないのでね。たまたまキャンピングカーがあって、郊外だけじゃなくて街なかでも乗ろうよ、そのためにはどうしたらいいのかと思って自分で職人さんに持ち込んで家っぽくリノベーションして使っていたら本当にキャンピングメーカーの人から問い合わせがあって、うちのデザインしてくれと。本当にラッキーでしたね。
島原:インスタとかで「van life」とかあるのも最近ですからね。
中谷:なにが流行るかとか僕はそんなの全然わからない。ただ僕ね、この子は伸びるとかはわかるんです。安室ちゃんとかもすぐわかったんです。スーパーモンキーズで出てきて。あの子実は沖縄から出てきて大阪でバイトとかしてたんですね。そのあと東京でスーパーモンキーズでデビューして。見た瞬間に絶対この子売れるわと。藤原紀香も。そこの目だけはたしかなんですけれど(笑)
島原:今目を付けている人はいますか。
中谷:TEAMクラプトンの山口さんとか面白いなと思いましたけどね。正直わからないです。ロクヨンもデザインホステルの最初だとか言ってくれますけど、あれも自分が旅行が好きなので。全然お金のないときは人の家に泊まって、ちょっとお金があれば90年代とかロンドンから始まったブティックホテルとかに泊まってたりしてたんですけれど。ある日にブティックホテルで目を覚まして、ここがどこかわからなかったんです。それは実はインドのムンバイだったんですけれど、本当に世界中同じだなと思って。結局なにが面白くないのかと考えたら格好いい空間に泊まってもそこでの交流がなにもないんですね。それで言うとホステルとかゲストハウスって住宅のシェアハウスと一緒なのでそれが面白いかなと。かと言って海外のゲストハウスとかはコミュニケーションが濃すぎると。僕も30代後半、40代くらいだったのでそれはしんどい。ちょっと落ち着いた感じのホステルのデザインというのはなかった。唯一あったのはハンガリーとかヨーロッパのドイツ人とかイギリス人が週末とかに行くようなところでちょっと出てきていたくらいだったんですよ。これだと思ってやったんですね。そうしたらありがたいことに流行りましたね。
場所と距離の関係性の変化。働き方の変化。
島原:僕がすごく心配しているのは、中谷さんはやっぱり早いんですよね。今沖縄に行かれているじゃないですか。沖縄に行かれた経緯ってみなさんご存知ですか。半年から1年ほど休暇を取られていたんですよね?社長が半年くらい休んでいるんですよ。あちこち旅をしていて、休暇明けで戻ってきたと思ったら「僕沖縄に行きます。」とか言われたんですよ。みんなビックリですよね。そう思ったらやっぱりインバウンドがその後ガッとやって来て、沖縄も今すごいですよね。心配していたのは中谷さんが次海外に行っちゃったら、もうやっぱり日本ダメになるのかと思っちゃうんですよ。そういう想いはあるんですか。
中谷:その前に社員のために一言言っておかないといけないのは、僕が行けたのは本当に社員の皆さんのお陰です。本当にありがとうございました。こんな勝手をしてそれを許してくれる社員の皆さん本当にありがとうございます。海外は考えましたけれど、移住とかじゃないかなと思っているんですよ。例えばアメリカのハワイのビザはどう取れるかなとか、それの値段とか投資ビザとかどんどん値上がりしていくんですよね。それに自分の貯めれるお金が追いつかない。ハワイは行けないなと。そんなことを思いつつ、沖縄に行ったときにアマゾン、スカイプ、LCCみたいなことを言ったと思うんですけれど、昔だったら沖縄に住んでいると行ったら移住したから何を買うにしても離島価格とか、荷物が届かないとかあったけどアマゾンがある。僕が行ったちょうど2012年にその翌年からLCCが飛び出して。いきなり一番安くて3500円で沖縄に行けるようになってしまった。そのとき僕が住んでいたアパートから那覇空港までタクシー代で3500円くらいだったんですよ。那覇空港まで行くタクシー代と関空まで行く飛行機代が同じだったと。僕にとっては大阪から2時間半掛けて東京行くよりも、沖縄に行くのは1時間55分なんですよね。沖縄の方が近いなとか。そう考えると時間距離の感覚がすごく変わってきて。海外も今でも旅行行きますけれど、行ってどうこうという時代じゃないのかなと。沖縄に居てウェブ会議とかしていたら、時差がなければどこにいるかわからない感じになってくる。あとはアートアンドクラフトも去年から在宅勤務にしたんですね。どこで働いてもいいようにして。そうしたらミーティングもこうやってウェブ会議になるんです。僕がマレーシアから会議に参加しようが誰がどこにいるかあまり気にならない。そんな時代かなとも思います。
島原:人と場所の関係の作り方がだいぶん変わりましたよね。リノベーションにもそこは影響が出ているし建物にも影響が出てきていますよね。
中谷:そうですよね。空き家と地方。エポックメーカーの方が答えてくれた中で何人かかぶっていたのが空き家が増えるということだったんです。2040年、嘘みたいな話ですけれど40%空き家になるんですよね。そういうのって人類史上誰も味わったことがないことです。
島原:日本平均で40%の予測なので例えば東京とかはそこまでいかないですよね。
中谷:中心部はね。でも酷いところは2軒に1軒とかね。
島原:横須賀市くらいだとちょっと不便な駅から遠い階段で上がっていくような団地だと100万円とかですよ。100万円で戸建てが叩き売られている。
中谷:そんな風になってきますよね。すごい差が激しくなっていくんでしょうね。今日は彼のことも覚えて帰ってください。梶原というのが同期で、同じ日に入って同じ日に辞めたんですけれど、彼はUDS都市デザインシステムという会社で、僕らがリノベーションを始める前の早くからコーポラティブ住宅のコーディネートを。あれも民主化の動きだと僕は思っていて、僕はリノベーションを始めたんだけれども、彼もリノベーションの会社を作ると言って作ったのがリビタなんですよ。今上海に住んでいます。北京のMUJIホテルとかも彼のところの設計です。想像はつかないけれど未来予測で明らかなのはここなんですよね。空き家が増えるということと高齢化が進むとかシングルが増えてくるとか。
島原:今でも全世帯の40%近く、30%後半は一人暮らしなんですよね。だから日本で一番多い世帯というのは一人暮らしなんですよ。日本的な暮らし方はと聞かれれば『一人暮らし』なんですね。
中谷:ただ僕が思っているのは統計上一人だけれども、友達と住んでいるとか、女の人二人で住んでいるとかそんなのが増えてくるんじゃないかと。僕は実際に今一人暮らしじゃないですか。全然一人耐性が強いほうなのでいいんですけれど、誰かと住むのもありかなとか最近思います。
日本の結婚制度と世帯
島原:厳密に血縁家族じゃない世帯というのは増えてきています。家族とか世帯というのは通常血縁者で暮らしているイメージだけれど、血縁関係がない。最近話題になったのは40代の夫婦と小さいこどもと、奥さんの彼氏が20代でそいつと一緒に住んでいる。意味わからないけれど旦那さんも公認で成立している。あと家族の形というと、パルムドールを獲った『万引き家族』。あれって家族じゃないですよね。
中谷:ジプシーもそうですよね。
島原:絶対数はそうはならないけれどすごく象徴的ですよね。
中谷:結婚制度がフランスみたいにPACS制度とかみたいに出てくれば家族が劇的に変わると思うんですよ。結婚というのがなくなればね。あと日本は戸籍があるじゃないですか。あれがなくなれば劇的に変わるんじゃないかなと思っていて。それから郊外地方の話ですよね。僕がこどものときはもうちょっと重心が関西にあったんですけれど、今やもうメディアの話が東京中心になってきているからやっぱり東京とそれ以外という風に脳がそうなってきて。そういう報道があるから大阪に住んでいる人間でもそうなってくると思うんですけれど、僕は一旦離れて沖縄にいるとなんか違うなという風にも思っていて。沖縄に住んでいますというと沖縄の長閑な田舎のイメージを持たれたりするんですけれど、でも沖縄のなかにも那覇の中心部なんて大阪の中心部よりも不動産が高くなったりしている。そういうところもあればオフィスビルもタワーマンションも建ってますし、でもちょっと行けばアメリカとか日本の今の代表的な都市みたいなイオンモールがあってみたいな土地もあるし、もっと行けば本当に過疎で苦しんでいるところもあるし、ちょっとの距離でもものすごく差があるんですよね。それが乱暴に都市と地方みたいな分け方がされすぎかなと思っています。今後の空き家は都市の人が地方に行って空き家をDIYとかして盛り上げようぜ、みたいな話はなかなか出てこないし、やっぱりそこをよく見ていかないと行けないのかなと思っています。僕は郊外について詳しくないですけれど、三浦さんの郊外の話とかかなり深刻ですよね。大阪でいうと千里とかのニュータウンが一番古いですよね。
島原:大阪でいうと堺とかあっちとかは苦しいですよね。
人口が減るのに開発を進める地方都市のジレンマ
中谷:島原さんはこのグラデーションについてどう思っているんですか。地方がどうなっていくのかとか。
島原:最近そういう話題が多くなっていると思うんですけれど、やっぱり消滅可能都市だと政府から煽られて地方自治体が地方創生戦略・再生戦略というものを作った。どこかのコンサルとかに丸投げしてえらくお金を取られているのを見るとこれだけ人口が減るというトータルな予測があるにもかかわらず、我が市はこの戦略で人口がV字回復みたいなのが散見されるんですよ。さすがに気が付き始めた自治体は、いや増えないと、減るというのを受け入れようと、その中でどうするかということの議論が出てきています。
中谷:九州とかでも外国人を入れようとか出てきていますよね。
島原:その中で立地的成果みたいな話じゃないですけれど、やっぱりインフラの維持をしてコンパクト化していかないといけないというのはコンセンサスとしては出てきつつあるけれども、現実的に私有財産の制限みたいなこともあります。
中谷:大鉈を振らないといけないじゃないですか。ドイツとかはそういうことをやり始めていて住むところはここ、ここに家があるけれど行政フォローはしていきませんよと。これって英断じゃないですか。日本でそれをやろうと思っても政治家は票がほしいし、なかなか難しいですよね。
島原:やっぱりそこが、眼の前の人口を増やしたいとなると、地方都市で未だにやるのがショッピングモールを呼んで郊外に住宅地開発をしてしまうと。また広げたのか、ということがすごく多くて。東京ですら郊外がやばいと言っているのに、地方都市で郊外をまだ開発しているとかね、ちょっとありえない状況が起こっていて。実際の戦略の違いが相当でてきています。
中谷:さすがに何百人の村に入っていくのはハードかもしれませんけれど、ヨーロッパだったら10万人でまあまあな都市じゃないですか。日本で10万の都市だったらどれだけあるねんというくらいですけど。何十万都市が日本の中でコアになってきてというのになってくるんでしょうね。ありがたいことに日本には鉄道がありますもんね。
島原:20〜30万人という規模になれば必要な病院とか学校とかのインフラは一応はあるらしいんですね。10万人だとないケースがあると。20〜30万あればなんとかそれでやっていける。そこをいかに集約していくかということになるんですが、逆に面白い話があって市ではなくて町で人口が5〜6千人だったらどうにでもなるという風に開き直っている人たちもいて。北海道の町で5千人くらいで高齢化しているんですよ。そうすると10人位の移住者は相当インパクトが大きいと。一気に村が変わりだすというようなところで。中途半端なところが一番ダメで5千人くらいならなんとかやっていけるんじゃないかと。言われてみればわかるなと。
過疎化のポジティブな捉え方
中谷:なにかワン・イシューのコミュニティを作るってありえるかもしれないですね。心配でもあるんですけれど、過疎とかストックが余ることは社会問題と言われるんですけれど僕はどこかでそんなの知らないと思っていて。僕が例えば不動産王だったら悲惨じゃないですか。そんなのじゃないし、行政マンでもないし知らない、どこかで無責任なところがあって。住んでいるユーザー的な気持ちで言ったら、不動産が下がって二軒持てるんじゃないかとかそっちの方が面白いといえば面白い。
島原:ポジティブに考えれば無料同然で郊外の家が手に入るということですよ。今、『家いちば』というサイトがあるんですけれど値段がつかないような空き家がいっぱい登録されているんですね。持ち主が掲載されていて買いたい人が直接連絡する掲示板なんです。物件を見ていると売る方が中の残置物のお掃除代としていくら払うとかあるんですよ。それが処理しきれないくらいマッチングしているらしいんですね。日本全国の30〜40%と言われているような空き家の数は対策はできないんだけれども、そういう面白いものがタダで手に入るというような時代になるので。
中谷:それを面白い使い方する人が出てくればまたそういう人たちが集まって面白いしね。
島原:中谷さんもそうなように仕事が場所に縛られない働き方が今後増えていきますよね。
中谷:増えますよ。最初そうは言っても難しいなと思っていたんですよ。でもいざやりだすとどんどんアイディアが出てくるんです。例えばうちは沖縄と大阪でホテルやっていますが、両方にもちろんフロントがいてるんです。でも極端な話、一人でいいと。沖縄と大阪ではカメラで繋いでいるので沖縄の子が大阪のホステルのチェックインをやったらいいやんと。色々アイディアが出てくるんです。あとはR不動産の案内とかもやっぱりローカルな仕事じゃないですか。もちろんローカルのことを知っていないといけないし、ドメスティックな仕事なんですけれど、案内もその人だけに行ってもらってこういうものを繋いで事務所からそこの扉を開けてくださいとか、やろうと思えばできますよね。そんな時代が来ているなと。
島原:沖縄と東京が最後まで人口が持ちこたえるんですけれど、それでも2030年以降は減り始めると。北海道とか四国だと人が住まない地域が広がっていくわけですよね。そうすると東京で稼ぎながら、つまり仕事の在籍上東京で勤務している、そして東京の物価で給料を貰って北海道に住める。こんなことが意外と非現実的な妄想じゃなくなりつつあると思うんですよね。
中谷:それが北海道じゃなくてカンボジアでもいいわけですよね。
島原:そうしたら一気に老後の年金がどうのこうのというのは一気に解消ですからね。わりとそういうトンチみたいなことが出てくるのかなと。
中谷:そう思うと別に暗い話じゃないよなというのは思いますよね。データだけ見ていると暗い話かなと思うけど、そこで逆に日本が突っ走れるかもしれないですよね。
島原:一億二千万人のためのストックが一億人以下で使えるんですもんね。
中谷:そうですね。ただ深刻なのは新幹線とか古いインフラが傷んでくるのでね、あれの維持管理費が大変ですよね。そういう意味では要らない公共施設は潰していくのでしょうね。僕は壊すべきは壊せと思っていますから。要らない体育館とか大浴場とかありますもんね。
島原:木下斉というまちづくりの狂犬がフェイスブックに書いていたのがすごく笑えたんだけれど、道の駅事業をするために道をつくったというのがあって。そういうのをやめようよということですよね。
リノベーション初期時代の世間の感覚とは
中谷:道の駅も最初の方は良かったんですけどね。さて、あと10分くらいなんですけれど会場から質問などありますか。
質問者:いまリノベーションが考え方としても行為としてもナチュラルで選択肢として一般的なものになっているという感覚が強いんですけれども、90年代くらいの時期に古いものに手を入れて、言葉が悪いですけれど、以前だったらフィニッシュをしっかりしてそれで売り物にするという感覚が一般的だったときに50%くらいでいいかみたいな、それがビジネスになるという感覚がどういうものだったのかとか、リノベーションという行為がそれこそ東と西、アートアンドクラフトさんとブルースタジオさんみたいな形で書かれていたんですけれど、そういった同時代性とかどういう風に大島さんの動きを見られていたとかそのあたりの話を聞きたいです。
中谷:僕はもともとは新築のマンションデベロッパー出身で、僕は設計で入ることが多かったので商品企画については営業の意見の方が強かった。それが嫌で嫌で。これを作ったら絶対に売れると思うのに、みたいな。だけど独立したときにまずマンションを作るほどのお金が自分にないし、当時ファンドとかもなかったし、資金が集められなかったし。それで始めたのが中古マンションだったらいけると思って他の会社さんに買っていただいてこれだけ戻しますと言ってやった。だからやっているときはリノベーションとかストック問題を考えているというよりも、新築で流通してる世の中のマンションに対して、こっちの方が格好いいだろみたいな感覚だったんですよね。当時不動産のオープンハウスって1日5人来てくれたらいい方でそんな風にお客さんを見つけるんですけれど、300組来たんですよ。当時お金もないから新聞折込とかもできないし、自分たちでチラシを作ってそれを近所に手まきしていったんです。それで300組来てくれて。当時のカタカナ職業的な人が来てくれてオシャレな感じでいっぱい来てくれたんです。みんなリノベーションをしたようなものを初めて見るからやっぱり興奮しているんですよ。僕は不動産屋としているのに来た人から「ありがとうございました。」とか「頑張ってくださいね。」とか言われる。それがすごく嬉しくて。決してあまり手を入れようとか思っていないし、でもビジネスとしてやっているから掛ける工事原価をどこまで抑えられるかみたいなところのいい塩梅は考えましたけど、あえて控えたという感じではないんですよね。お金を掛ける部分で掛けてなんとか売れるくらい。新築で流通しているものの7掛けは切らないと売れないだろうなとか。それをやったのが98年で、ブルースタジオがリノベーションを始めたのが2000年なんですよね。R不動産がやりだしたのは2003年ですけれど、馬場さんとかが当時日本橋でCETをやりだしたりしていて。やっぱりやっている人が少ないから見えるんですよね。連絡を取って向こうも知っていてくれたりして。それで一緒に飲み会をやったり。スピークの面々とかまだめちゃくちゃ若かったですもんね。そんな感じで知り合いになっていったという感じです。だから例えばtoolboxの林さんとかと言っていたのは『ECO』とか言われるのすごく腹立つよねとか。リノベーションに関してそんな感覚全然ないし、なおかつお金をあまり掛けないというのもなくて、自分らが本当に住みたいというような感覚で作っていた感じでした。
質問者:300人の人が来たというのはそういう中古マンションを対象にして7割くらいの費用でという行為に対するセンスというか、こういうものでいいんじゃないのという感じの感覚は当時広まっていたということですか。
中谷:いや全然。僕は当時20年前は20人に1人がそんなものに食いつく人と思ったんです。今も多くの人がそうじゃないですか。実は300人も来てくれたのに一発目の物件はなかなか売れなかったんです。会社を作ってすぐだったし300人も来たから「来たぞ。お金持ちになれる。」とか本当に思って。でもお金がないから資金を集めて中古マンションをとにかく買い取ると。リノベーションをして売りまくったら金持ちになれるんじゃないかと本当に思ったんですよ。でも一軒目がなかなか売れなくて。その後は本当にすぐに売れるようになったんですけれど。そのとき接客していてみんな『私もやりたい』だったんです。それまでデベロッパーとかハウスメーカーだったら『買いたい』なんですよ。ハウスメーカーは請負なのに「ハウスメーカーで家買った。」とみんな言うんですよね。ところがリノベーションのクラフトアパートメントに来てくれた人は「私もやりたい。」とみんな言ったんですよ。これが違うんだと思って。だから僕は中古マンションを改修してまたリノベーションして売ったら結局新築のデベロッパーでやっていたことと同じことの繰り返しになるんじゃないかなと思ったんですね。結局新築から中古に変えただけで、そうじゃなくて参加型、自分が家をつくっていく。よく馬場さんが言う編集するみたいな感じなんだろうなって。だから嫌で嫌で仕方なかった工事の請負、それまでハウスメーカーに勤めていたから本当にクレーム産業だなと思っていて。なんでお客さんにここまで怒られないといけないだと思って嫌だったんですけど、それをやろうと思った。一人目のお客さんが本当に良いお客さんで。工事はうちがやるけれど一緒にやる感覚になれたんですね。できたときにありがとうと言ってもらえて、家に招いてもらって一緒にお酒を飲んだりして。そのときにリノベーションにビビッと来る人は20人に1人くらいしかいなかったんですけれど、そういう人たち、島原さんご存知の経済用語でいうとアーリーアダプターの前、イノベーターの人たちにはやっぱり参加するということが良かったんでしょうね。イノベーターの割合はどのくらいなんですか。
島原:1.3%です。
中谷:だから客の人も個性が強い人が多かったです。今の20歳すぎはそっちの方が当たり前ですもんね。展覧会冊子のエピローグに書いていますけど、スピークの宮部さんが近畿大学で授業をしていてリノベーションの説明が難しいと。生徒にしたらそれが当たり前だからその前の話をしていかないと、と言っていました。さて、そろそろ時間も参りました。この展覧会が明日から始まりまして時間が12〜20時まで8日間やっています。トークイベントはあと2つ用意していまして日曜日が西川くん主催で。
西川:僕は兵庫県立大学の環境人間学部で建築を勉強したんですけれども、同じところで学んだ同級生を招いて、みんな建築のど真ん中を行っている子がいなくてですね、一人がDEPT.さんという工務店の子と、メディアアーティスト系のライゾマに行っている子、大丸松坂屋で未来定番研究所という最近谷中にオフィスを構えているんですけれどその子と、あと教員になった藪谷君という富山大学に勤めている子と一緒になんで今僕たちがこの道にいるのかといったこれまでの10年を振り返りながらトークをしようと。あと今考えていること、これからの10〜20年というところをどういう風に過ごしていくのかを話していければいいかなと思います。
中谷:今日のトークを聞いてどれくらいのテンションでやろうと思っているの。
西川:同窓会と言っているので同窓会的なノリで行こうかなと思っているんですけれど。そんな感じで日曜日やろうと思います。
中谷:天気が心配ですけどね。今日は嵐を呼ぶ男が集まりすぎましたね(笑)最終日14日は土中さん説明してもらっていいですか。
土中:14日は今日も来ていただいているTEAM クラプトンさんから山口さん、前田文化さんから野崎さんにお越しいただいて未来の町とか建築とかがどうなっているのかなど楽しくお話したいなと思っています。司会にFM802の土井コマキさんにも来てもらうのでちょっとラジオ番組っぽくしたいなと。会場からお便りを募集したりしながらやりたいなと思っています。
中谷:わかりました。こちらももしお時間許すのであれば皆さんまた来てください。それでは今日の『リノベーション・クロニクル』これにて終了です。島原さんにもう1度拍手をお願いします。